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日常のなかの狂気

昨日はアメリカの銃乱射、長崎市長の銃殺など、銃に絡むニュースに驚いた一日だった。
銃っていとも簡単に人を殺せてしまう凶器なんだなと、改めて思う。

CNNを見ているとずっとバージニア・テックの話題ばかりだ。
それだけ米社会にとって衝撃的な事件だということだろう。
日本に伝わるニュースに先駆けて、さまざまな証言とともに詳細が明らかになってきている。
クラスメイト、ルームメイト、教授、高校の同級生、色んな人が(顔出しで)インタビューに応じているのだ。(こういうところが日本と違う?)
学生たちの話しぶりが、優秀な大学であることをうかがわせる。きっと名門大学なんだろう。

容疑者もそういう点では「頭脳明晰」だったのかもしれないが、かなり変わった人物、社会性の欠如した人物だと証言されていた。普段から無口で、人との接触を避けていた。妄想癖がある。執拗な面も持ち合わせ、ストーカー行為で警察沙汰になり、カウンセリングを勧められていた。自殺予告もした。

昨日の放送では、巻き込まれた人々の心のケアと、アメリカの銃社会の問題点が取り上げられていたけれども(日本の報道はこの点を特に強調しているように思う)、今日はどちらかというと、社会の中に潜む危険性を孕む人物をどう見極め、対処していくべきなのか、という点に焦点が当てられていたような気がする。
変わっているからといって即、捕まえるなんてできない、じゃあ一体どうやって凶行を防げばいいの?と。


ちょっとおかしい?、という人がいても、必ずしも危害を加えるとは限らないし、最初はなんでもなくても、周りがどんどん警戒して、孤立を深めていく中で、特定の誰かではなく「学校」「社会」そのものに対する憎悪が増幅していくケースもある。そして最悪の場合、無差別殺人につながってしまう。

…高校時代の経験を想い出した。
<ちょっと違う、変わっている>という個性は、本来なら無邪気なものであったかもしれないのに、周りのクラスメイトが距離をとることでいつの間にか孤立を深め、深刻なものに変わっていた。私たちが知らない間に、本人の孤立感はとことん深まっていたらしく、あるとき急に爆発した。
バージニア・テックと同じように、「理性的な」学校では表立ったいじめなどは勿論なかった。でも、「ちょっと変な子」に対する乾いた視線は常にあった。

主流や中心に馴染めない人間は絶対にいるわけで、中心にいる人間たちからはその存在は意識されなかったり、無視されがちだ。同窓会の案内を送ってみればよくわかる。決して万人にとって楽しい学生時代ではなかったということが。


社会って本当に難しい。
今回の件を引き金に、アジア人に対する偏見や猜疑心が広まらなければいいのだけれど。
by columbus59 | 2007-04-18 22:43 | ひとりごと | Comments(0)
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