金曜日の晩、メトロポリタンオペラに行った。演目はMadama Butterfly(蝶々夫人)。
通常なら100ドル以上(200ドル以上?)すると思われるオーケストラ席、学割のおかげで格安チケットが手に入った。ありがたや。 プッチーニ作なので劇詩はすべてイタリア語だが、英語の字幕がある。 蝶々夫人のあらすじをとっても簡単にまとめてしまうと。 舞台は明治期の長崎。お家の没落で芸者になった蝶々さんは、ブローカーの紹介で、アメリカ人の軍人ピンカートンと結婚することになる。が、ピンカートンにとってこの結婚は、異国の地でのなぐさみを得る程度の価値しかなく、蝶々さんは現地妻にすぎない。 幸せな結婚生活もつかの間、ピンカートンは祖国に帰ってしまい、何の連絡もないまま3年の月日が流れる。彼を信じて待つ蝶々さん。かわいい坊やも生まれていた。 やっと現れたピンカートン。が、アメリカ人の本妻を携えていた。まわりは、蝶々さんに子どもを夫妻に託すように説得する。愛する息子との別離を決意した蝶々さんは、父の形見の短刀で、自らの喉を突いて自害する。 Metropolitan Opera house at LINCOLN CENTER なんとも悲しい物語。第一幕ではあまりにもストーリーが単純すぎないか?という疑問と、ピンカートンの日本人蔑視のふるまいを見て、どうもしっくりこなかったが、そのうちどんどん引き込まれた。 なんてったって曲がすばらしい。そしてあまりに健気な蝶々さんにだんだん感情移入していってしまった。有名なアリア「ある晴れた日に」が、あんな意味を歌っていたとは…。蝶々さんがこの曲を歌いきったあとは観客からの拍手が鳴り止まなかった。 ピンカートンが帰ってくると知って部屋を花びらで飾る場面、和装の息子を洋装(マリンルック)に着替えさせる場面。結末を思うとあまりにも悲しい。 「名誉をもって生きることができなければ、名誉をもって死ぬ」―サムライの精神道? この時代は本当にこのような精神性に支配されていたんだろうか。あまりに潔よすぎるのではないの?でも何か、戦後には失われてしまったものが、この時代には確かに存在していたような気がする。うまくいえないけど。 8時開演で、11時に終わった。ブラボー!の声もあちこちから聞こえ、大方の人が満足したようだ。私もしばし余韻に浸ったあと、ふと疑問が生まれた。 日本を舞台にし、日本女性の悲劇を描いたこのオペラが長いあいだ欧米で支持されてきたのはなぜだろう。だって明らかに日本人妻はピンカートンの国の女性より劣る存在として描かれ、欧米人は優越した本妻の立場に立つ側である。何が共感を呼ぶのだろう?そういった立場の違いを超えた蝶々さんのひたむきな姿?一途で純粋な心??・・・う~ん、聞いてみなければ。
by columbus59
| 2005-02-05 01:25
| 散歩道
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