実家に帰っている。
実家には19歳の老犬がいるが、久しぶりに見た彼の姿は激変していた。もちろん突然老化したわけではない。でも、久しぶりに見た姿は確実に以前の記憶のなかの彼とは違っており、その姿をすぐに受け入れることができなかった。 小学生の頃から一緒に生活し、実家にいる間は率先して世話をしてきた。一番若くて元気な時期をともに暮らしたのだ。だからこそ、その変貌ぶりに頭が追いつかず、最初はどう接していいのかわからず、恐る恐る触れるような状態だった。 今の彼は、白内障で視力を失い、耳もほぼ聴こえなくなっているようだ。足腰は弱り果て、まっすぐに歩くことはできないし、ふらふらと方々にぶつかり、いちど倒れると自力で起き上がることも困難になっていた。体のあちこちも痛いようだ。痴呆の症状も出ており、狭いところに入りたがる、異常な食欲を示す、排泄のコントロールがきかない場合も多くなっている。そして何より痛々しいのは、気道が狭まっているための症状なのか、たびたび起こる苦しそうな嗚咽の発作だった。徘徊もせず、発作も起きず、穏やかな顔をして眠っている間が一番安心できた。 3日目辺りから、どう接すればいいか、だんだんわかるようになってきた。彼も私のことを憶えているのか、おびえる風もない。時々は手をなめてくれるし、身体を預けるような姿勢もとる。 心配するあまり、日ごろ世話をする両親に対して、生意気な意見をぶつけたりした。でも、いくら滞在中は世話を焼いたとしても、結局私は東京に戻らなければいけない。何を言っても無責任なのだ。先の見えない介護は不安だし、飼い主の行動も制限させる。たった1,2年の介護だとしても、毎日の世話はきっと経験した者ではないと、その大変さはわからない。完全に寝たきりになれば、またさらに手がかかるだろう。完璧さや理想を押し付けたり、周りからあれこれいうのはやはり筋違いだったと反省した。19年間暮らしてきた両親が一番わかっているはずだ。それを証拠に、フラフラになりながらも、彼は両親の行動に精一杯の反応を示している。 年老いていく姿は犬も人間もきっと同じなのだろう。初めて目のあたりにしただけに、今回の帰省では心が揺れている。
by columbus59
| 2005-09-26 12:01
| ひとりごと
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Comments(2)
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りらみ
at 2005-09-26 13:35
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老化って、自身の生命力が、命の容れ物である身体そのものに勝ってきてしまう過程である、という考え方があるそうです。
身体には限界があるけれども、生命は終わりなくどんどん発展していくということらしい。その考えを精神の面でつきつめていくと宗教になったり、科学の方面に伸ばしていくと、ミトコンドリアがどうのこうのという話になったりするそうです。 19歳でご長寿ですね。安心してすごせる家があって、なにより自分を大切にしてくれる家族がいて、幸せですね。 ウチのがおじいちゃん猫になっても安心して幸せにすごせるよう、私も大事にしてあげよう。
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columbus59 at 2005-09-26 23:07
興味深い解釈ですね。欧米ではペットの安楽死が日本より一般的なようですが、動物ってどんなにひどい状態でも、生きようとするエネルギーを出し続けているような気がします。
とはいえ、やはり奇麗事では済まされない部分もあるし、人間も感情の生きものなので、その狭間というか、難しさをあらためて実感しました。ペットに対する考え方や距離のとり方なんかも、やはり親世代とは違うなぁとも感じて。。なんだかここ数日色々と考えてしまってます(><)。 私もむくがおじいちゃん猫になっても、安心して過ごせるよう、責任をもちたいと思います。
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